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プロフィール編■会社設立まで小・中学校ともにそんなに目立たない子ではあったが、中学校から入ったガールスカウトの活動で身に付いた行動力で突然自ら動く子に変異。ガールスカウトの海外派遣事業で派遣されたスウェーデンでナニカが自分の中で変わり、「どうせ人間いつか死ぬんだったら、死ぬまでに経験しとかにゃソン♪」というえらくポジティブな考え方になる。(15歳) スウェーデン語と北欧文化を勉強するために東海大学へ入学するが、理系の友人の誘いで受講したシステムとネットワークの授業により、パソコンが好きになってしまう。(20歳) 当時流行っていた、ホリエモンやベンチャー、システムエンジニアというカタカナに憧れて氷河期のなかあちこち就活するが落ち続け、最終的にたまたま広島の大手家電量販店にエントリー。 このとき採用担当に、「あなた、数学・・・というかこりゃもう算数なんじゃけど、ほとんど0点なんよね。じゃけど、パソコンの点数が98点だったけ、まぁ採用ね。」と別にわざわざ伝えなくてもよい微妙な説明を受けたものの、それでも内定はとれてパソコンコールセンターへの配属だったので喜ぶ。(22歳) 電話のみではあったがお客さまへのパソコンサポート対応や商品・サービスに関するクレーム対応は全く苦ではなく、当時たまたま同じフロアにいた澁川(カラフルブリック出資者)や先輩方の指導を受けながらのびのびと成長。しかしその後の家電業界の大きな流れの中で、退職を選ばざるをえなくなる。(23歳) 退職後すぐに、とある企業の企業内ヘルプデスク兼パソコン周りのなんでも屋のお仕事に巡り合い、運用系SEのお仕事をさせていただく。この時も周りの方にとても助けていただき、コールセンターでは経験できなかった2次オペレータ業務や小さなプログラム作り、パソコン修理技術などを学ぶ。この会社では長い間かわいがっていただいたが、運用だけでなく、システムを開発する力がないと業界で生き抜いていけないと強く思い始め、株式会社アクティスへ入社。(27歳) アクティスでは未知の技術や用語、膨大な量の英語マニュアルの中で開発系SEとして歩みはじめたが、そのなかで、本当にSEに必要なことはお客さまとお話ができ、お客さまが本当に悩まれている部分を聞き出すことができることではないのかと考え始め、目指したのは「営業もできるSE」。(28歳) 折からの不況の中で営業をしていくうちに、“もっと地域に密着し、地域に根差した仕事をしたい。広島を元気にしていきたい。”という思いが高まり、アクティスの独立支援制度を利用して独立させていただいて、カラフルブリック株式会社を設立した。(29歳) 「なぜ今、この時期に起業なのか?」とよく言われるが、「不況だからこそ起業の絶好のチャンスなんじゃぃっ。」と本人は思っている。
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質問編■なんでバルーンアートをしはじめたの?広島のメイン通り「本通」でたまたまさすらいのバルーン屋を見かけたのですが、その人のツイストバルーン(大道芸人がひねって作るバルーン作品)技術があまりにもすごかったので、自分もやりたいとバルーンの師匠に弟子入りしたのがバルーンをはじめたキッカケです。 ■度胸はありますか?はい、あります。 ■会社設立で感じたことは?留まることのない人生だったけど、やっぱり留まることはできないんだなぁと。 ■カラフルブリックでやっていきたいことは?人を育てたいです。 ■お客さまに言いたいこと!カラフルブリックには幅広い対応力があります。
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